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死刑宣告

 投稿者:ねこ  投稿日:2011年 1月17日(月)13時59分29秒
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  アパートまでわずか数歩しかなかった。
死刑を宣告された男のように、部屋に入った。
何も考えてはいなかったし、何ひとつ考えられもしなかった。
だが、全身で感じとっていたのだ。自分にはもう判断の自由も、意志もないということ、
すべてが突如として、最終的に決定されてしまったということを。(151)

計画した犯行などは、とうてい自分には実行できない、
そうラスコーリニコフは考えていた。
ところが彼は夕暮れに町を歩いていて、たまたま、
金貸し婆さんの妹リザヴェータが明日の夕方6時過ぎに
商人の夫婦に招待されるところを耳にしてしまう。
そうすると、その時間は金貸し老女アリョーナは自宅に一人きり
ということになる。そう知ると、ラスコーリニコフはどうしても
殺害を決行しなければならないと思い立つ。
婆さんが一人きりになる時間を見つけることは、彼の計画にとって、
どうしても必要な最後のワンピースだった。
ところが、実際に犯罪を行う段になると、彼は、
まるで自分が死刑宣告を受けたような気分になり、意志も判断力も失ってしまう。
彼自身が、いわば完全犯罪を遂行する人形になってしまったのだ。

すべての理性的計画には、そのような側面があるのだろう。
緻密な計画が動き出せば、計画を練り上げた当人は傍観者となってしまう。
その意味では、実行段階に入れば、計画者の意志や判断は及ばなくなる。
しかし、それを見守る目には、計画通りに事が運ぶように念ずる祈りが
あるのではないだろうか。

ところが、ラスコーリニコフは死刑宣告を受けたようにうなだれてしまう。
それは道徳上の問題はすべて解決したといいながら、その点で、
大きな過誤があったのではないだろうか。

社会の繁栄のためには、シラミは殺してもいいのだろうか。
ラスコーリニコフは殺してもよいと考えている。
それ以上の考えは、彼には及ばなかった。
しかし社会のために個人(害悪)を抹殺するという判断が、
ありうるのだろうか。

主人公は人を殺してもよいという道徳的な判断から、
実は逃れたかったのではないだろうか。
老女を殺害することは、彼自身の道徳的判断を実現することになる。
そのとき彼自身が死刑宣告を受けたような気分になったというのは、
とてもおもしろい。おそらく老女殺害によって、
彼自身の中の何かが殺されることになったのだろう。
 
 
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