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人間(商品)

 投稿者:ねこ  投稿日:2011年 1月10日(月)18時39分39秒
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  みなさん、新年、あけましておめでとうございます。
この読書会(掲示板)、ほそぼそとですが、もう少しがんばって
続けていこうと思っています。どうか、ご支援下さい。
ということで、まずは引用。

わかってるのか、ドゥーニャ、ルージン某といっしょになる
おまえの運命と引きくらべ、ソーニャの運命が汚らわしいなんて、
ひとこともいえないぞ。(108)

『罪と罰』を読んでおどろくのは、この150年も昔のロシアが、
すでに金まみれの社会であることだ。
経済力が支配する社会で、人々は金にまみれて生きている。

経済が力を持つということは、人々の発想や生き方が、
商品を目指しているということだ。

ここで引用したのはラスコーリニコフの言葉。
この物語で聖なる存在とされ、もっとも商品から遠い存在といえるのは、
ソーニャとドゥーニャだろう。
このふたりに導かれるように、殺人者となった主人公は自分の存在を
取りもどしていく。

ところが、この聖女たちも、経済社会のただ中では、
商品へと身を落とさざるをえない。
周知のようにソーニャは家族のために娼婦となり、
ドゥーニャは兄と母を経済的に助けるために、
嫌悪を催すような役人ルージンと一緒になろうとする。

商品経済の中では、人間自身も商品へと落ちていく。
それでは、人間はどうすれば人間を回復することができるのだろうか。
このような問いを縦糸として『罪と罰』を読むことは十分に可能だろうし、
それは僕たちの日々の問題でもあると思う。
 
 
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